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ラムの定番商品【ハバナクラブ】

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文字数:約1500文字

 日本でもおなじみのキューバ産ラムのハバナクラブ。
実はハバナクラブが2つあることを知っている人は少ない。
歴史から2つのハバナクラブについて見てみよう。

基本情報

創業からキューバ革命まで

キューバ
Greg MontaniによるPixabayからの画像

 ホセ・アレチャバラは1847年にスペインのバスク地方で生まれた。
1862年に15歳でキューバへ渡航し、1878年に蒸留所を設立する。

 1923年にホセ・アレチャバラは亡くなったが、
後を継いだアレチャバラ家が1934年にハバナクラブを発売する。
この時、アメリカでハバナクラブの商標登録を行う。

 1960年にキューバで革命が起き、ハバナクラブの蒸留所は没収されてしまう。
アレチャバラ家はスペインを経て、アメリカに移住する。
蒸留所は国有化され、ラムの生産は続けれた。

2つのハバナクラブ:ペルノ・リカールvsバカルディ

 1973年に創業家であるアレチャバラ一族が持っていた商標権が更新できずに失効してしまう。
その隙に1976年にキューバの国有企業がアメリカでハバナクラブの商標登録を行う。
国有企業によってキューバ産のラムは全てハバナクラブとして輸出された。

・ペルノ・リカールのハバナクラブ

キューバ産ハバナクラブ
https://www.pernod-ricard-japan.com/brands/domestic/spirits/havanaclub/

 1993年にキューバの国有企業とフランスのペルノ・リカール社が50%ずつ出資し、
合弁事業として設立する。
世界屈指の酒類メーカーであるペルノ・リカールの販売網を活用し、
ハバナクラブはアメリカを除く世界中で飲まれるようになった。
アメリカはキューバに対して経済制裁による禁輸処置を行っているが、
2015年に国交正常化が前進し、禁輸解除が待たれている。

・ハバナクラブのラベル

ハバナの銅像

 ラベルに描かれているのは、ハバナの港にある古い砦(Castillo de la Real Fuerza)の
風向計に付けられた銅像の女性である。
1970年代にキューバの国有企業によってラベルデザインに適用された。

・バカルディのハバナクラブ

プエルトリコ産ハバナクラブ

 キューバ革命時にバカルディも蒸留所を没収されたが、
海外拠点を持っていたため、バカルディラムの生産を続けることができた。
しかし、ハバナクラブは海外拠点を持っていなかったため、
アレチャバラ一族はハバナクラブラムの生産を続けることができなかった。

 1994年にアレチャバラ家が(失効している)ハバナクラブの商標権とレシピ
バカルディ社に売却する。
バカルディ社はプエルトリコでハバナクラブを生産し、アメリカに輸出を開始する。
アメリカで販売されているハバナクラブにはプエルトリコ産と表記されている。
バカルディのハバナクラブは日本でほとんど見かけない。

・決着は?

ハバナ
AndiによるPixabayからの画像

 このようにして、現在でもアメリカの法廷でペルノ・リカールとバカルディは争っている。
ペルノ・リカール社は、キューバの国有企業と取り交わした正当な権利であり、
ドル箱ブランドであるハバナクラブを手放さないだろう。

 バカルディ社は、自社も革命時に蒸留所や資産を没収されており、
そのような不条理を認めることはできないだろう。

 今後どのような展開を向かえるのか、待つしかないようだ。

あとがき

 モヒートの定番として使われるハバナクラブにこのような事情があるとは驚きだろう。
合理的なビジネスとして考えればペルノ・リカール社は正しく思えるが、
革命時の混乱によって行われたことを正当化してはいけないという
道徳観ではバカルディ社が正しく思える。
この問題は時が経てば解決されるのだろうか。

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